哲学は役に立つ

『週刊ダイヤモンド』2019年6/8号「仕事に必須の思考ツール:使える哲学」

ある大学の哲学科の1年生達に、「哲学科に入学することについて、親族や友人からは何と言われましたか」と質問をしたことがあります。面白い回答をたくさん得られたのですが、一番印象に残っているものは次のようなものでした。父親から、哲学なんてやって何になるのだ、数百万も学費を使って4年間も無駄にするのかと言われたと。その学生は憮然としたそうですが、何も言い返さなかったそうです。

私が大学に入学した頃は、産学連携が高らかにうたわれ、社会にインパクトを与えると期待される研究・学問には積極的に資金が投下されはじめた時代でした。自然科学や社会科学系の学問分野には、そうした時流に上手に適応したものも多く、対して人文科学系の諸学問はこの流れに乗れませんでした。金を稼げない研究は役に立たない、そうした雰囲気が社会的に醸成されていきました。基礎研究も大事だと言われることもありますが、そうした論調からは人文系学問は取り残されてきたと思います。

もっともその道は、人文系の研究者たちが意図的に選択した側面があります。私が学生の頃は、学問が社会の役に立つことばかりを重視する風潮に対して、「安易な迎合」であり「学問の価値の棄損」であると、厳しく批判する力がまだ人文系研究者には備わっていました(研究費削減や人件費削減という兵糧攻めによって、現在ではそうした力が失われてしまったことは、みなさんご存じの通りです)。私が敬愛する同年代の若手研究者ですら、生活に困窮しながらも、学問にとって役に立つことに意味があるのかと言っていたのを憶えています。

私はこうした「役に立つべきか論争」にいまいちピンときていませんでした。というのも、学問を学ぶことは善いことだし、善いことが役に立つのは当たり前だと思っていたからです。これは私がギリシア哲学を研究しているから当たり前に思えることですが、ギリシア語の「善い」という言葉は、「有益である」ということを基本義として持っています。それは、人間が行為する際の「~のために」という目的にもなる概念であり、我々が善いものを求める際、そこから利益を受けることを期待することは、とても自然なことです。私はどのような学問であれ、それを学ぶことは利益を得ることに繋がるのであり、結局のところ重要なのは、その利益がどのようなものなのか、本当に重要な利益なのかを言語化することだと考えていました。

私は冒頭の学生をはじめ、授業に出ていた多くの学生達に対して、次のように言いました。哲学を学べば、社会で活躍するための重要な能力を身に着けることができますし、きっと人生を豊かにするでしょう。つまり、哲学は役に立ちます。

私がどういう意味で「哲学は役に立つ」と言っているのか、4年間の付き合いがある学生にはわかってもらえる(と信じている)のですが、世間ではそのようなことを言う研究者は、当時はあまりいなかったと思います(今も?)。そんなときに、折よくお話をいただき、企画・監修に携わったのが『週刊ダイヤモンド』の「使える哲学」という特集です。

次はこの企画の経緯について書きたいと思います。