人はなぜ笑うのか:笑いの哲学を授業する

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人はなぜ笑うのか。これは哲学に親しみ始めた学生に投げかける問いとして、とても良いものだと思います。

まず、とっかかりとしてとても良い。哲学の種は身近な日常のどこにでも落ちています。笑いというテーマは、それを理解するきっかけになるでしょう。我々は笑わない日はほとんどありません。失恋をし、大切な人を亡くし、どうしようもない不幸に苦しんでいる時にでも、ふとした瞬間にクスッと笑うことがあるでしょう。嘘だと思うのであれば、ちょっとも笑わないようにして一日を過ごしてみてください。そうとう難しいことに気づくと思いますよ。それほどまで我々の生活に根差している「笑い」。こいつぁいったい何なんだと不思議に思いませんか。

次に、問い自体が曖昧でいいんですよね。「人はなぜ笑うのか」という問いは、ちょっと考えると不明瞭であまりよくない問いだとわかります。この問いは、笑いの対象を問うているのか、笑いが生じる生理的なメカニズムについて問うているのか、笑いの意義について問うているのか、はっきり言ってよくわかりません。問いというのは、適切な問いでなければ解くことができません。キャッチーな響きがあるこの問いは、我々は何を問題にしているのかということを、学生に自覚的に分析させる力があります(実のところ、笑いを専門的に議論している哲学者もまた、「笑い」の問題を適切に分析せずに考察しているように思えるときがあります)。

最後に、歴史がある。笑いの主要理論は、文脈やアプローチは違えど歴史的に早い段階で提出されています。たとえばアリストテレスは優越説や不一致説に類する考えを提出しているし、また笑いの生理学的な分析も行っている(よく言われるように、アリストテレスが優越説の立場を取っているというのはおそらく誤り。この問題についてはこの本に掲載されている、「なぜアリストテレスは「下ネタ」を許容したのか:『政治学』の教育論におけるアイスクロロギアについて」で少し論じた)。私が好む授業の流れがあります。それは、学生にディスカッションをしてもらってその成果を発表してもらい、その発表内容が「実は過去の哲学者も同じ主張をしてました~」と私が解説するものです。自分自身で苦心してまとめた思考を発表するのは、学生にとってとても勇気がいるストレスフルな作業です。でもその思考が専門的な哲学の軌道上にあると知ったとき、きっと自信を持つことにつながると思うのですよね。権威とはこのように利用したい。

冒頭に上げた動画は、高校生向けの探求学習授業の一環として、プロの動画作成者の方と一緒に作った教材です。高校生向けではありますが、桜美林の学生向けに作った教材をコンパクトにアレンジしたものです。桜美林着任初年度からこのテーマは扱っており、うちの学生には多少無理やりネタを作成・発表してもらっています。この取り組みはコロナ禍のオンライン授業でも継続しており、オンラインを利用した4コマ漫画、面白動画、コントの脚本など優れたネタを沢山発表してもらいました。

笑いの理論を知れば笑いを創れる。実はそれほど単純じゃないのは、私が作ったしょーもないネタを見れば明らかですが、そう思った方が哲学を勉強することは楽しいし、人生も豊かになるはず。

ちなみに同じテーマで、桜美林授業風景についても、動画がここに上がっています。

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