【学生研究発表】思想としての古着

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2022年12月18日、ゼミに所属する戸田さん(4年)と小川さん(3年)が研究成果をリベラルアーツ・プレゼンテーションコンテストにて発表し、金賞(1位)となりました。

審査員との質疑応答。一人の聴衆として、古着を着たいという気持ちにさせられたのがとにかくすごい。

リベラルアーツ・プレゼンテーションコンテスト(リベコン)とは、桜美林大学リベラルアーツ学群の専攻における学びの成果を発表し合うという、年に1度のお祭りのようなものです。

二人の発表は、「思想としての古着:軽すぎる時間への抵抗」と題したものです。最近は若者の間で古着が流行っており、市場規模も拡大しているそうです。そうした流行がなぜ起こっているのかを明らかにするために、下北沢と町田の古着屋さんのお客さんたちや、路上の古着好き(?)にアンケ―ト調査を行いました。

二人が明らかにしたことは二つあります。まず、こうした古着ブームを支えている人たちは、古着が安いから買っているわけではないということです。これは意外な結果で、通常、中古品は新品よりも安い「お下がり」感がありますが、古着好きはそうした安さを優先していないということを明らかにしました。

もう一つ明らかにしたことは、古着を着るということに若者たちの思想性が表現されている、ということです。服とは、単に裸を隠すものではなく、時代や場所、文化、あるいは自分自身への理解を踏まえて、どうありたいかを表現する媒体です。高校生が制服を学校できっちりと着ること、あるいは放課後のゲームセンターで着崩すことは、そうした願望の現われです。

では、古着を着るということはどういうことなのか。彼らが出した結論は、古着好きは、現在の服に現れる文化、すなわち、ファースト・ファッションが象徴する大量生産・大量消費社会に反抗している、ということでした。ファーストファッションは、大量に生産され、消費され、時期を過ぎればあっという間に廃棄されます。購入者の側も、安価に流行を終えるため、購入して捨てることに抵抗が薄いです。現代のファッションがそうした刹那性も帯びているとすれば、古着をまとい、過去の思想をまとうことは、自分自身が刹那的に消費されることを拒否することでもあるのです。

古着が好き、というシンプルなモチベーションが支えた本研究ですが、だからこそ、二人以外の誰にもできないような研究であったなと思います。

私の専門はギリシャ哲学ですが、田中ゼミでは、ごく広い意味で「哲学的」と言えさえすれば(哲学のもともとの意味は「好奇心」のようなものです)、どのようなテーマでも研究できます。自分の好きなこと、大切にしていること、調べていて楽しいと思えることを、見つけてあげてください。哲学の種はきっとそこら辺にいっぱい落ちてますよ。

学群長より賞状と記念品の贈呈。

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